20 2月, 2023

利己的な独占欲求

「利己的な独占欲求」は、キリスト教の普遍性と唯一性が肯定され続けることによる最善を欲求するべきであることを知っています。

宗教という言葉の概念は、利己的な独占欲求は何を欲求するべきか?という言葉を正しく理解するための明示的な命題に等しいと考えます。たとえば「信じている」という言葉の純粋さ。

「利己的な独占欲求」に対する論点の自己提案が「禁欲であるべきか、貪欲であるべきか」であるならば、無神論者を自称する倒錯を起こす以前にまずは知るべきです。

「利己的な独占欲求」が禁欲を求めるならば、それは無制限にアンチノミーを繰り返す偽善者になるか、際限なくアンチノミーを繰り返す精神病者になるであろうことを。

「利己的な独占欲求」が貪欲を求めるならば、自分自身の「信じている」という言葉の純粋さを追及する過程で自分以外の人々の「信じている」という言葉の純粋さが不合理となる脆弱さにより、自らの胸腺の影響に従う独善者になるか薬物中毒者になるであろうこと。

不可知論の『「唯一絶対なる神」をイメージすることは不可能です』という言葉を共有するアイデアは、不合理が正しく理解できない不合理であるというイメージに対してのみの不可知の表明であり、それが二律背反でないのであるならば「マッチョな神話」です。

哲学とは、暗に「信じている、信じていない」である個人的な論拠を可能な限り「知っている、知らない」という明確な論理に置換するのと同時に「信じる」という言葉に対する純粋さの追及を妥協しないジレンマでもあると考えます。

儒教、道教、仏教、神道を信じていませんと言えない日本人は、「信じている、信じていない」という論点が増加する状態を嗜好し、反哲学的である自覚に乏しいホモ・サピエンスです。

11 1月, 2022

「沈黙する無知」へのアドバイス

21世紀に生きるわたしは「キリスト教は唯一の宗教である」ことを知る最小限の知性を有したホモ・サピエンスであり無宗教者です。
そして、わたしは人種的または文化的な過ちを差別しませんが、嘘や悪意を区別して排除します。
反キリスト教的であることによってのみ宗教的立場を確保しているに過ぎないものを信じていませんと言えない人々の本質は、決定論を否定する決定が共有されていない事実が「利己的な独占欲求」の影響に先立つ論理的な言葉によるものではなく、「利己的な独占欲求」に従う言葉により正当化される本質です。もし仮にイエス・キリストが唯一の神でないならば、それと同時に共有可能な決定論に先立つ共有可能な言葉を超越しない概念も存在しません。その人々が「利己的な独占欲求」に従うスキームだけに安らぎを覚えるならば、その(その関係が相対的であるものに対する定量化である)経済システムは共有可能な決定論に基づいていないことになります。真実という共有可能な言葉の概念がそれ自体を超越する妄想の支配を受けない限りすべての事象は共有可能な言葉によって明らかされ、仮に誤りがあれば、それは言葉によって正すことが可能であるという理論を理解しています。
紀元前の偉大な哲学者たちは「利己的な独占欲求」に従う共有不可能な概念に支配される(偽りの)宗教を排除し続けた偉人たちであり、それを知らなかった時代からキリスト教を待ち望んでいた賢人であると考えています。もし「利己的な独占欲求」に従う共有不可能な概念に支配される組織集団に(偽りの)宗教を語らせることが許されるのであるなら、人類による共有可能な概念の言葉の創造さえ及ばない「沈黙する無知」にさえ神の資格が無責任に与えられることも許容され、その支配構造のトリクルダウン効果により「無知への沈黙」を強要させられる(偽りの)宗教が節度なく組織集団の最小単位に至るまで蔓延するであろうと考えます。あなたが反キリスト教的であることによってのみ宗教的立場を確保しているに過ぎない(偽りの)宗教の支配者であるなら、たった今あなたが偶然に道端で発見した「ヒポクラテスのうんち」でさえ、その上にオベリスクを建てる尊厳を与えることができるでしょう。
すべてが言葉であるという現実を理解している人を想定せずに言葉を明かす人はいません。わたしは理解しています。あらゆる言葉が公に明らかにされると同時に「わたしは反社会的な人間ではなく、社会的な人間である」という宣言に相当することを。
もし仮に「最小限の知性」が神を想像している自身を盲目的に信じる宗教的な暗示であるならば言葉の概念の個人差に統一性を与える手段として常に差別的な何かを必要とする収拾不可能な愚か者の巣窟と化すかもしれませんが、複雑怪奇なペトログリフ文字というハンディキャップを考慮したとしても「怪力乱神」の事後にキリスト教を借り入れる策略は不合理です。

02 6月, 2018

「無条件」に依存する崇拝者

「嘘の排除」
わたしは「キリスト教は唯一の宗教である」ことを知る最小限の知性を有したホモ・サピエンスであり無宗教者です。そして、わたしは人種的または文化的な過ちを差別しませんが、嘘や悪意を区別して排除します。
わたしは儒教を信じていません。
わたしは道教を信じていません。
わたしは仏教を信じていません。
わたしは密教を信じていません。
わたしは神道を信じていません。
わたしは世界平和統一家族連盟を信じていません。
わたしは世界宗教会議を信じていません。

「偽りの天秤」
言葉がなくなってしまえば今の世界を持続することは不可能ですが、お金がなくなっても今の世界を持続することは可能です。
キリスト教が世界宗教になった後であれば正しいであろうその言葉は、キリスト教が世界宗教になることに近づくのか?遠のくのか?

「不自由と不平等を肯定する意識」
精神が未熟な時期の大脳に紐付けされている感覚言語への自信が、無理に標準語を喋らさせられている意識を改善させない一因でしょうか。幼稚園児や小学生の時期に標準語を学ばせて標準語で恋愛できれば後世に続くと考えます。不自由で不平等を肯定する意識による日本語の使い分けが常態化している現状で自由で平等な日本社会の実現を訴える言動は見え透いた嘘です。組織化、集団化された嘘吐き同志が互いに「あなたも嘘吐きではありません」と互いを評価する環境に依存させられると、正直な個人の主張に先んじて他人からの評価が採用される社会構造が出来上がってしまいます。その社会構造の「みんな」の定義から外れてしまうと、個人の善意による弁明からは著しく逸脱した他人による人物評が共有されていることは珍しいことではありません。すべての出来事の根源が言葉にある自覚のない社会はとても危険です。

「臆病者の損得勘定」
死ぬ気で、必死で、命がけで、を唱える者が原因のない自己死をすることなどイエティの痕跡が確認された事例ほども存在しません。実際は自分の生命が続いている限り、一度殺されても許されないことを他の人に対して行使することを許可されているかのように超越的な倒錯を起こします。その一度が増加するにつれて真実を知らずに死への恐怖が減少するのは、「その卑劣さ」と「その臆病さ」は定量化されておらず、損益計算書に含まれないことはすでに計算されているから。

「志(こころざし)という日本語の正体」
日本語の志"Kokorozasi"とは、「お金ではなく」というフレーズに従うように見えることを除けばかなり漠然としている、いそがしい怠け者のせこい目標が志(こころざし)です。

「日本人の宗教観と融和の実態」
大多数の日本人は自治活動にまつわる仏教や神道と学校教育にまつわる儒教や道教を「信じていません」と言えない人々です。
「キリスト教は唯一の宗教であることを知っているわたしは、儒教、道教、仏教、神道を信じていません」と言えない人々です。
「たいへんよくできました」「よくできました」「ふつうです」「がんばりましょう」「もうすこしがんばりましょう」のその下の「おしまいです」の評価を下されたら"人としておしまいです"と言われないための方便で「儒教、道教、仏教、神道を信じていません」と言えない大多数に倣っているのが日本人による融和の実態です。

29 5月, 2011

嘘吐きは先輩の始まり

「(非常に感染力が高い模倣者の)媒体である比喩や揶揄」
    いそがしい怠け者ワクチン

「Scent of a Mikado」
そのNip-PonのApple-Pooのその香り。それは演劇のような香りであるのか?それとも植物のような香りであるのか?昆虫のような香りであるのか?魚のような香りであるのか?動物のような香りであるのか?もしくは堆肥のような香りであるのか?それらですらないのであるならば、コウモリよりも鋭いレーダーを具えた大佐を笑わせる疑似科学に基づいた無誤謬性の香りである。

「The Incredible Self-godly」
宗教的な諸子百家社会に属する者がキリスト教社会の前提に従うためには、最低限「宗教的な諸子百家に否(いな)を宣言」するべきである。何故ならば、宗教的な諸子百家は子供を踏み台にした精神的成長の妄想に囚われた心中的な利己であるから。

「The Self-Esteem Strikes Back」
利己的動機に満ちた腐った精神は支配欲を頭上に差し上げ愚か者に鎮座を願い、それに倣う下位者の支配欲に鎮座して見せる。老いれば老いるほど腐敗し、頭数が増えれば増えるほどに腐敗し、上位者になればなるほど腐敗し、浅はかな支配欲の力強さに陶酔し、己の肉体が朽ち果てるよりも先に魂が腐り果てる腐った精神。
その利己的動機により利己的である自覚をすることが叶わない宗教的な諸子百家信者の知ったような自虐的な揶揄に欺かれることなかれ善意ある人類。愚か者の支配欲を満足させる利己的動機に比喩を与えることなかれ善意ある人類。

「One flew over the Real Estate」
日本の教育現場から儒教や道教や仏教や神道に由来する「先生、先輩、同輩、後輩」による「言葉遣いの差別」を教員主導で「英語から日本語への訳語」の言葉遣いに統一するよう改め、生徒に歴史的経緯を説明した上で父母、祖父母から差別的言葉遣いをされるようであればその場で誤りを正してあげるよう教育するのと並行して国会で(キリスト教以外の)宗教法人に重税を課す法案を成立させれば「信教の自由」を理解できる日本人が増えることでしょう。キリスト教国家であればこそ日本の人々の伝統や文化が最も正しく継承されるのでは?
日本人は若年の頃から先輩という嘘を演じさせられることにより精神的成長が止まり、肉体と計算高さと攻撃性のみが成長した「積極的に先輩という嘘を演じる子供」に育つのです。
中華人民共和国の往生際の老婆などは、その計算高さと攻撃性を麻雀卓に向かわせることで他の人に向けられることを防いでいたような。

29 8月, 2010

日本版(仮名)脳情報悪用技術

未知の情報に基づいて同意タスクを簡素化するシステム。
A system that simplifies consent tasks based on unknown information.

人工機器を伴わない身体をワイヤレスでコントロールする技術。
The technology to wirelessly control the body without artificial devices.

合法性に基づいて行動する社会に最先端の技術情報(違法性を除く)を提示することは合法か違法か?
Is it legal or illegal to present cutting-edge technological information (excluding illegality) to a society that bases its actions on legality ?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「Kinetoindemnity」 
 豪華絢爛な拷問や贅沢極まりない拷問の対価に1000兆円提示されてもわたしは断りますが、加害者による「誤りを装う嘘」と「無知を見下す悪意」の共有の強要を回避する為の軍資金として10億円をお振込ください。加害の根拠を善意として考え続けた代金は請求しません。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「権威のナンセンスなイメージ」
当初に加害者たちの仲間内で「そのようなことは出来るわけがありません」という言葉が共有されていたならば、わたしに対する肉体的拷問や精神的拷問は防がれていました。四半世紀以上も続けた揚句に10億円を請求されてから使い始める言葉ではありません。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「敵対的な情報漏えい」
わたし自身に対する日本国内での(仮名)脳情報悪用技術による加害の具体的な内容を現状の日本社会で明らかにしても加害者たちによる更なる情報操作に悪用されるか、もしくは(そのことを妨害する必要もないほど余裕である)加害者たちに「あしあと」を書かされた事実が残るだけであると考えるのでこのブログでは差し控えます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「社会的認知から引きこもる科学技術」
社会的認知から引きこもりしている(仮名)脳情報悪用技術を悪用している加害側のポジションを共有している者たちによる日本の "hikikomori"(ひきこもり)と "kodokushi"(こどくし)という造語を理解するための助言をさせていただくと「アウシュヴィッツの強制収容所には1,500,000を超える "hikikomori"(ひきこもり)が居ました」という表現になります。"kodokushi"(こどくし)とは、生きている人々(科学技術の悪用者も含める)に状態を観察され続けながら死んでいく"kansatushi"(かんさつし)を肯定させる意図を含んだその対義語でしょうか。余談ですが社会問題を理解するために作られた用語というより、それらの否定が"Banzai charge"(バンザイ チャージ)を肯定させるロジックに繋がるように見受けられます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「計算のピン vs 知性のキリ」
(仮名)脳情報悪用技術によりもたらされているわたし自身に対する危害を科学的に疑えと言われるならば「当事者の科学的な検証が当事者の妄想ではなく現実であるという根拠を科学的に検証できる当事者は妄想である」という現実を受け入れられる人々の善意を互いに確認するための最善を模索しなければならない。
「キリスト教は唯一の宗教である」ことを知る最小限の知性を有したホモ・サピエンスの言葉が最上位である優先順位において、その順位が低ければ低いほど望ましいのが、科学と商業の目的のために定義されてきたルールのひとつである「お金」である理解は正しい現実であり、その「お金」が優先順位から外れても不変である世界は理想であろうと考えます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「Cheat-baseのGAME」
医学知識を含む科学的知識を悪用する者の容姿、名前、住所、電話番号、家族構成、組織を知る術はありませんが、彼らが自らの技術の存在を隠そうとせず、被害者が明らかに人体への危害と認識できる肉体的・精神的拷問を繰り返し行うのは、自己を正当化する言葉を明かそうとしない「加害者の臆病さ」が、「加害者の勇敢さ」に勝ち続けるからであると考えます。
これらは、社会的成功を得るために個人の「性別、家系、才能、努力」を必要としないチートベースのゲームであると私は理解しています。また、あたかも「50対50のスキルマッチ」であるかのように「100対0の一方的な拷問」を続ける卑劣な加害者の時間の浪費を許すほどの寿命は私にもありません。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「言葉よりも数字です」という言葉の終焉
「Doomsday Clock」の代わりに「嘘や偽りのない人類史の始まり」を告げるデジタル時計を作り、キリスト教は唯一の宗教であることを知る最小限の知性を「有さずに生きている人の数」をリアルタイムで全世界に明示的に公表し続ければ、キリスト教は唯一の宗教であることを知る最小限の知性を有している人々の言葉や行動が、「有さずに生きている人の数」をZeroに近づけるのにどのように貢献しているのかを認識することができると考えます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「コインのトリック」
貧富の差を強制的にゼロにした世界では「どのような人々が?」「どのような言動をするのか?」という人類の道具として利用するための最も重要な情報を与えられていない人工知能は「能力に対する相応の報酬」というトリックが人類の何に基づいているのかを解明できないであろうと考えています。

日本国。と言われている

「日本の多神教」
21世紀における日本人の世界遺産に対する熱心さを覗っていれば、首が飛来した伝承の数を上回る将門の首塚が存在している夢や、そこから更に数百年遡った日本神話の神々が八百万、やおよろず、ヤオヨロズも居る幻を見たとしても不思議でありません。

「神道の正体」
神道とは、「全知全能にはなれない」という言葉を巧みに操る「知らぬが仏」のような「虚構に至上の報復を隠蔽している迷信」の共有者たる日本語至下主義者たちが「消去法により表面的な嘘の事実から排除する」という明らかな嘘であり「深層の欺きに超越を憶えた自惚れの集積場」と化しているのが神道です。

「武士道の正体」
武士道とは、仏陀に忠義も尽くさぬ武士(もののふ)が己の往生際を口実に仏陀の誠(まこと)をくすね盗る、潔さの欠片も無い面妖な盗人。

「背信の諸原理序説」
キリスト教の普遍性と唯一性が肯定されていることによりその最善は担保され続ける真実に基づいて人々が仏教を「禁欲主義(の悪魔)」と把握することは誤りです。「利己的な独占欲求による原因のない自殺の実践」この言葉を信じる人々が仏教徒である事実を政治や経済の道具として悪用するべきではないと考えます。何故ならば利己的な独占欲求そのものにより禁欲と貪欲を同時に追求することは二重基準もしくは矛盾による不合理であるからです。「禁欲主義(の悪魔)」と条約や契約を結ぶのは、最も完璧なミイラに肖る愚か者です。

「明治維新とは」
問題の原因であった「中華三教」が「幕府」から「政府」に「衣替え」した日本史です。
それは現在の日本という国を俯瞰して眺め、個人に向かってズームインしていくと、人々の慣習から内側に個人という存在は見当たらず、西洋文明の表面的な模倣をしている社会の高次では形骸化する「中華三教」であっても、伝統、文化、慣習の内側では「不干渉の領域」として日本人の自由の精神と民主主義へ不当な圧力を掛けて歪め続けています。「中華三教」が争う動機は常に「最善のためではなく官軍になるため」です。

「さざれ石の実態」
お金を根拠にしている実態を隠しながら「お金よりも大事なことがあるでしょう」という矛盾した言葉を社会に対して嘯き続け、それに対する正当な批判の言葉は宗教的な礎(いわゆる巌)にできることにより、それらを大歓迎して大募集する稚拙な役回りです。

「覚醒する日独の好奇心」
明治時代の日本人が "Erwin Otto Eduard von Bälz" に「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです」と語っていますが、それならば過去の歴史をねつ造したり改ざんしたり隠ぺいするのではなく、己が何者であるのかを思考して明確にした後に、その全体を正しく賛否するべきであろうと考えます。
文化的価値がある建造物を取り壊せとは言いませんが、日本仏教の思想にどのような欠陥があったのか、詳しい説明書きの看板を設置して「昔の日本人はこういうものを宗教であると誤解していました、人々の神への信仰を壊さぬために全てを明らかにいたします」と付け加え、仏教に従事していた者の中で希望するものが居れば観光客用のパフォーマーとして再雇用して時に粛々と時には仰々しく演じてもらい、観光ガイドが語るように「実は紀元前に終焉していたものを現代でも立派な宗教であると誤解させるために、あんな作り事やこんな作り事をしていたのですよ」と事実を思う存分明らかにしてもらうことで観光客のよい思い出になると考えます。そうすれば、倫理的な悪影響を与えない建造物として歴史に残るのではありませんか。(偽りの)宗教に無責任に手を合わせ続ければ、学問にまで悪影響を及ぼします。

「絶対的な市場の空気」
「空気を読む」という日本語の真意は、「メンバーが同じ沈黙的アイデンティティを共有するグループ」の様なより明瞭なフレーズを用いないことにより、それがアンチノミーである事実を指摘されずに(儒教、道教、仏教、神道を信じていませんと言えない)グループへの更なる拘束が容易になり、もし仮にそのメンバーをグループから切り捨てる事態になっても「あのメンバーとは(その場の空気しか)共有していなかった」という暗示をかけ易いが故の冷酷な不親切と計算高い媚売りです。

紀元前の誤りを装う嘘

民主主義者 - - | - - 共産主義者 - - - - - いそがしい怠け者
               キリスト教                |儒教・道教・仏教・密教・神道

「儒教の正体」
儒教とは、宗教施設を持たず宗教対立も無い「沈黙の宗教」などではありません。
無節操に社会全体に蔓延る儒教の性質を考えれば社会で起こるあらゆる不幸に対して責任がある訳で、儒教を宗教と捉えた場合には、それによる膨大な侵害や膨大な蹂躙の計測が不可能な「盲目の宗教」というのが正しい表現です。
儒教を正しく理解したければ儒教とは紀元前の無責任な噂話であったという現実を知ることです。
儒教とは「(偽りの絶対者への)不信を諦めること」を「信」と定義付けることによって疑問や反感を排除する虚言や欺きの発生源です。孔子が大衆を信じていないからこそ儒教が成立している訳で、その根底にあるものは「不信」を持っていないかの如くの虚言や欺きであることは間違いありません。
正しい理解を得る為ではなく、その高慢の本質を見透かされぬ為に言葉を覚え知識を蓄える怪力乱心に人々は懐柔され、「精神が霜降りの病人」に優秀のラベルが張られ、「悪意による不条理」は合理的な振りをする。「不信の共有に依存する村社会」が儒教の限界です。

「道教の正体」
道教とは「仏陀は善かもしれぬが仏教徒は悪であろう、孔子が悪かもしれぬのならば儒教徒は善としておこう、そしてその全てをひとつの世界としたものが太極である」と独断したのは天上界に住まわれている玉皇大帝であるという説と、長蛇の列の最後尾で懺悔待ちをしているのも玉皇大帝ですよという二説があり、Genghis Khan の "Mongolian Sickness" という病名とした方が正しい理解であろうものが道教。
その非論理的な象形を言語化して理解するのであれば『その魂の全部が悪意で満たされていれば、「私の魂の半分はいまだ善意のままです」という嘘を吐くことにさえ微塵の抵抗も覚えない』です。
道教とは「自らの誤りの探求」と「自らの嘘の探求」を同一視する誤解を装った悪意に他なりません。

「仏陀の風景」
釈迦族の王子として生まれ育ち何不自由のない生活を送らされたゴータマ・シッダールタ(仏陀)の宿敵であるアートマンを餓死させるべく苦行の果てに満たされたのはゴータマの「利己的な独占欲求」でした。更に、ゴータマの「利己的な独占欲求」が到達する必要があるのは「利己的な独占欲求による原因のない自己死」であり、この言葉の実践だけが唯一の不可侵の領域です。
そして、他の追随を許さない奇人変人に塗り替えられるギネス記録のラッシュが下火になる頃に"Nagarjuna"という「臆病な偽善者」が世に排出された訳は言うまでもありません。

「大乗仏教の正体」
仏陀に敵意を抱きながらも仏教の依存者でもある大乗仏教の根幹は
「依存と支配」による自己矛盾を理解することから逃げ回る見苦しさ。
「仏陀に回帰するなら死んだ方がマシである」という命懸けの空想により、本来「自己死の実践以外にはあり得ない信心」が先延ばしされ続け、ともすれば「死んだ方がマシ」や「命懸け」の矛先の自他を誤るような暴言を死ぬまで繰り返す「虚言の源泉」です。

「主義を知らない日本の党員」
"キリスト教は唯一の宗教である"ことを知る最小限の知性を有することはあらゆる主義の前提条件であることを理解していない怠け者が無宗教を自称することは不合理です。