29/08/10

ミカドの国の円の空気と大気汚染

「日本の多神教」
21世紀における日本人の世界遺産に対する熱心さを覗っていれば、首が飛来した伝承の数を上回る将門の首塚が存在している夢や、そこから更に数百年遡った日本神話の神々が八百万、やおよろず、ヤオヨロズも居る幻を見たとしても不思議でありません。

「神道の正体」
神道とは、「全知全能にはなれない」という言葉を巧みに操る「知らぬが仏」のような「虚構に至上の報復を隠蔽している迷信」の共有者たる日本語至下主義者たちが「消去法により表面的な嘘の事実から排除する」という明らかな嘘であり「深層の欺きに超越を憶えた自惚れの集積場」と化しているのが神道です。

「武士道の正体」
武士道とは、仏陀に忠義も尽くさぬ武士(もののふ)が己の往生際を口実に仏陀の誠(まこと)をくすね盗る、潔さの欠片も無い面妖な盗人。

「背信の諸原理序説」
キリスト教の普遍性と唯一性が肯定されていることによりその最善は担保され続ける真実に基づいて人々が仏教を「禁欲主義(の悪魔)」と把握することは誤りです。「利己的な独占欲求による原因のない自殺の実践」この言葉を信じる人々が仏教徒である事実を政治や経済の道具として悪用するべきではないと考えます。何故ならば利己的な独占欲求そのものにより禁欲と貪欲を同時に追求することは二重基準もしくは矛盾による不合理であるからです。「禁欲主義(の悪魔)」と条約や契約を結ぶのは、最も完璧なミイラに肖る愚か者です。

「明治維新とは」
問題の原因であった「中華三教」が「幕府」から「政府」に「衣替え」した日本史です。
それは現在の日本という国を俯瞰して眺め、個人に向かってズームインしていくと、人々の慣習から内側に個人という存在は見当たらず、西洋文明の表面的な模倣をしている社会の高次では形骸化する「中華三教」であっても、伝統、文化、慣習の内側では「不干渉の領域」として日本人の自由の精神と民主主義へ不当な圧力を掛けて歪め続けています。「中華三教」が争う動機は常に「最善のためではなく官軍になるため」です。

「さざれ石の実態」
お金を根拠にしている実態を隠しながら「お金よりも大事なことがあるでしょう」という矛盾した言葉を社会に対して嘯き続け、それに対する正当な批判の言葉は宗教的な礎(いわゆる巌)にできることにより、それらを大歓迎して大募集する稚拙な役回りです。

「覚醒する日独の好奇心」
明治時代の日本人が "Erwin Otto Eduard von Bälz" に「われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今、始まるのです」と語っていますが、それならば過去の歴史をねつ造したり改ざんしたり隠ぺいするのではなく、己が何者であるのかを思考して明確にした後に、その全体を正しく賛否するべきであろうと考えます。
文化的価値がある建造物を取り壊せとは言いませんが、日本仏教の思想にどのような欠陥があったのか、詳しい説明書きの看板を設置して「昔の日本人はこういうものを宗教であると誤解していました、人々の信仰を壊さぬために全てを明らかにいたします」と付け加え、仏教に従事していた者の中で希望するものが居れば観光客用のパフォーマーとして再雇用して時に粛々と時には仰々しく演じてもらい、観光ガイドが語るように「実は紀元前に終焉していたものを現代でも立派な宗教であると誤解させるために、あんな作り事やこんな作り事をしていたのですよ」と事実を思う存分明らかにしてもらうことで観光客のよい思い出になると考えます。そうすれば、倫理的な悪影響を与えない建造物として歴史に残るのではありませんか。(偽りの)宗教に無責任に手を合わせ続ければ、学問にまで悪影響を及ぼします。

「絶対的な市場の空気」
「空気を読む」という日本語の真意は、「メンバーが同じ沈黙的アイデンティティを共有するグループ」の様なより明瞭なフレーズを用いないことにより、それがアンチノミーである事実を指摘されずに(儒教、道教、仏教、神道を信じていませんと言えない)グループへの更なる拘束が容易になり、もし仮にそのメンバーをグループから切り捨てる事態になっても「あのメンバーとは(その場の空気しか)共有していなかった」という暗示をかけ易いが故の冷酷な不親切と計算高い媚売りです。

日本版(仮称)脳情報悪用技術

未知の情報に基づいて同意タスクを簡素化するシステム。
A system that simplifies consent tasks based on unknown information.

人工機器を伴わない身体をワイヤレスでコントロールする技術。
The technology to wirelessly control the body without artificial devices.

合法性に基づいて行動する社会に最先端の技術情報(違法性を除く)を提示することは合法か違法か?
Is it legal or illegal to present cutting-edge technological information (excluding illegality) to a society that bases its actions on legality ?
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「生かさず殺さず中庸(Zhongyong)な支配欲」
 豪華絢爛な拷問や贅沢極まりない拷問の対価に1000兆円以上の金額を提示されていたとしても、全くの過不足であることを理由にわたしは断っていましたが、(仮称)脳情報悪用技術を運用管理している支持者の意思が反映した「二律背反」と「欺瞞」と「暴力」による支配を回避するための軍資金として10億円をお振込ください。加害の根拠を善意として考え続けた代金は請求しません。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「権威のナンセンスなイメージ」
当初に加害者たちの仲間内で「そのようなことは出来るわけがありません」という言葉が共有されていたならば、わたし自身に対する敵対的な情報漏洩という本質に基づいた肉体的拷問や精神的拷問は防がれていました。四半世紀以上も続けている揚句に10億円を請求されてから使い始める言葉ではありません。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「最終学歴に依存したバイアス」
わたし自身に対する日本国内での(仮称)脳情報悪用技術による加害の具体的な内容を現状の日本社会で明らかにしても加害者たちによる更なる情報操作に悪用されるか、もしくは(そのことを妨害する必要もないほど余裕である)加害者たちに「あしあと」を書かされた事実が残るだけであると考えるのでこのブログでは差し控えます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「社会的認知から引きこもる科学技術」
社会的認知から引きこもりしている(仮称)脳情報悪用技術を運用管理している人々の影響による日本の "hikikomori"(ひきこもり)と "kodokushi"(こどくし)という造語を理解するための助言をさせていただくと「アウシュヴィッツの強制収容所には1,500,000を超える "hikikomori"(ひきこもり)が居ました」という表現になります。"kodokushi"(こどくし)とは、生きている人々(科学技術を運用管理している人々も含む)に状態を観察され続けながら死んでいく"kansatushi"(かんさつし)を肯定させる意図を含んだその対義語でしょうか。余談ですが日本の社会問題を理解するために作られた用語というより、それらの否定が"Banzai charge"(バンザイ チャージ)を肯定させるロジックに繋がるように見受けられます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「知識の意地 vs 知能の言葉」
(仮称)脳情報悪用技術によりもたらされているわたし自身に対する危害を科学的に疑えと言われるならば「当事者の科学的な検証が当事者の妄想ではなく現実であるという根拠を科学的に検証できる当事者は妄想である」という現実を受け入れられる人々の善意を互いに確認するための最善を模索しなければならない。
「キリスト教は唯一の宗教である」ことを知る最小限の知性を有したホモ・サピエンスの言葉が最上位である優先順位において、その順位が低ければ低いほど望ましいのが、科学と商業の目的のために定義されてきたルールのひとつである「お金」である理解は正しい現実であり、その「お金」が優先順位から外れても不変である世界は理想であろうと考えます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「敵対的な情報漏洩」
医学知識を含む科学的知識を悪用する人々の容姿、名前、住所、電話番号、家族構成、所属する組織を知る術はありませんが、何故、公開さえされておらず社会認識すらない科学技術の存在を漏洩する肉体的・精神的拷問を繰り返し行う必要があるのか?それは被害者の訴えとその科学技術の存在を「明示的な被害の自覚がない第三者」が信じ始めた時に、その第一印象を肯定的な意識にすり替える布石として被害者を悪用する為であると推測しています。「一部の被害者と違い大多数の人々もわたしも優遇されている側である」とは考えませんし「その被害者には拷問されるに値する理由が隠されているに違いない」とは考えませんが、しかし「医学技術を含めた科学技術による生体活動に対する完全な支配を受容しますか?」と全国民に明示的に問うたならば満場一致で意義なく否決されると考えています。この技術が最も精度の高いウソ発見器としても流用できる事実も知っています。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「Cheat-baseのGAME」
これらは、社会的成功を得るために個人の「性別、家系、才能、努力」を必要としないチートベースのゲームであると私は理解しています。また、あたかも「50対50のスキルマッチ」であるかのように「100対0の一方的な拷問」を続ける卑劣な加害者の時間の浪費を許すほどの寿命は私にもありません。100対0の優位性により0対100の演出をすれば10億円の要求に従えるでしょう。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「言葉よりも数字です」という言葉の終焉
Doomsday Clock」の代わりに「嘘や偽りのない人類史の始まり」を告げるデジタル時計を作り、キリスト教は唯一の宗教であることを知る最小限の知性を「有さずに生きている人の数」をリアルタイムで全世界に明示的に公表し続ければ、キリスト教は唯一の宗教であることを知る最小限の知性を有している人々の言葉や行動が、「有さずに生きている人の数」をZeroに近づけるのにどのように貢献しているのかを認識することができると考えます。

"最小限の知性すらないあなた方、わたしにお金を支払いなさい"

「コインのトリック」
貧富の差を強制的にゼロにした世界では「どのような人々が?」「どのような言動をするのか?」という人類の道具として利用するための最も重要な情報を与えられていない人工知能は「能力に対する相応の報酬」というトリックが人類の何に基づいているのかを解明できないであろうと考えています。

紀元前の誤りを装う嘘

Philosophy                  Logic                         Scheme
民主主義者 - - | - - 共産主義者 - - - - - いそがしい怠け者
               キリスト教                   |儒教・道教・仏教・密教・神道

「儒教の正体」
儒教とは、宗教施設を持たず宗教対立も無い「沈黙の宗教」などではありません。
無節操に社会全体に蔓延る儒教の性質を考えれば社会で起こるあらゆる不幸に対して責任がある訳で、儒教を宗教と捉えた場合には、それによる膨大な侵害や膨大な蹂躙の計測が不可能な「盲目の宗教」というのが正しい表現です。
儒教を正しく理解したければ儒教とは紀元前の無責任な噂話であったという現実を知ることです。
儒教とは「(偽りの絶対者への)不信を諦めること」を「信」と定義付けることによって疑問や反論を排除する欺瞞の発生源です。孔子が大衆を信じていないからこそ儒教が成立している訳で、その根底にあるものは「不信」がないかの如くの虚言や欺きであることは間違いありません。
儒教思想の中庸(Zhongyong)は反哲学的(anti-philosophical)なスキームの両極端が確立した後に決定されるのが通例であるならば、全体主義的な意識、権威主義的な意識に基づいた最終的な極端であり哲学的には不合理です。
「怪力乱神」という四文字熟語が現代社会の定義に従うならば、それは哲学であり、「怪力乱神を語らず」と語る事による矛盾は人々の潜在意識や言語環境に、悪影響を及ぼすと私は考えます。
儒教とは、他人の考察への条件反射に固執する「有害な無知」である。

「道教の正体」
道教とは「仏陀は善かもしれぬが仏教徒は悪であろう、孔子が悪かもしれぬのならば儒教徒は善としておこう、そしてその全てをひとつの世界としたものが太極である」と独断したのは天上界に住まわれている太上老君であるという説と、長蛇の列の最後尾で懺悔待ちをしているのも太上老君ですよという二説があり、Genghis Khan の "Mongolian Sickness" という病名とした方が正しい理解であろうものが道教。
その非論理的な象形を言語化して理解するのであれば『その魂の全部が悪意で満たされていれば、「私の魂の半分はいまだ善意のままです」という嘘を吐くことにさえ微塵の抵抗も覚えない』です。
道教とは「自らの誤りの探求」と「自らの嘘の探求」を同一視する誤解を装った悪意に他なりません。

「仏陀の風景」
釈迦族の王子として生まれ育ち何不自由のない生活を送らされた "Siddhartha Gautama" の宿敵であるアートマンを餓死させるべく苦行の果てに満たされたのは "Siddhartha Gautama" の「利己的な独占欲求」でした。更に、 "Siddhartha Gautama" の「利己的な独占欲求」が社会性のある宗教として到達する必要があるのは「利己的な独占欲求による原因のない自殺」であり、この言葉の実践だけが社会性のある宗教として唯一の不可侵の領域です。
そして、他の追随を許さない奇人変人に塗り替えられるギネス記録のラッシュが下火になる頃に "Nagarjuna" という「臆病な偽善者」が世に排出された訳は言うまでもありません。

「大乗仏教の正体」
仏陀に敵対的でありながら釈迦牟尼仏教の依存者でもある大乗仏教の根幹は
「依存と支配」による自己矛盾を理解することから逃げ回る見苦しさ。
「仏陀に回帰するなら死んだ方がマシである」という命懸けの空想により、本来「自殺の実践以外にはあり得ない信心」が先延ばしされ続け、ともすれば「死んだ方がマシ」や「命懸け」の矛先の自他を誤るような暴言を死ぬまで繰り返す「虚言の源泉」です。

「主義を知らない日本の党員」
"キリスト教は唯一の宗教である"ことを知る最小限の知性を有することはあらゆる主義の前提条件であることを理解していない怠け者が無宗教を自称することは不合理です。